1983-04-27 第98回国会 衆議院 文教委員会 第6号
それから三十八年の七月十一日には、当時の文部大臣荒木萬壽夫氏に対して教育課程審議会より「学校における道徳教育の充実方策について」という答申が出されておりまして、道徳教育の充実方策というものについて具体的に、いまでもそのままそっくり当てはまるような内容で実は答申が出されているわけですね。
それから三十八年の七月十一日には、当時の文部大臣荒木萬壽夫氏に対して教育課程審議会より「学校における道徳教育の充実方策について」という答申が出されておりまして、道徳教育の充実方策というものについて具体的に、いまでもそのままそっくり当てはまるような内容で実は答申が出されているわけですね。
行政管理庁の方にお尋ねをしたいのでございますが、これは六十五国会でしたか、もう亡くなられましたが、私と同郷の荒木萬壽夫先生が長官の時代に「勧告をいたしまして運輸省から回答を求めます。回答を待ちまして、さらに効果的な方途があれば推進監察することもあり得ます。」そういうやり方で今後もずっと続けてまいります。こういう答弁をいたしております。これも議事録にはっきり載っております。
それはどういうときかと言うと、亡くなりました荒木萬壽夫氏が文部大臣になられたということが新聞に出たわけです。そして荒木文部大臣は、自分はどういう文教行政をやるかということはまだ一言も言っていないわけです。ただなったということがわかっただけなんです。その日に学校にビラが出まして、荒木文政の方針反対、粉砕とこう出るのです。(発言する者あり)いや、事実こういうことがある。
○稲富稜人君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員荒木萬壽夫君は、去る八月二十四日逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。 私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼のことばを申し述べたいと存じます。(拍手) 荒木君は、明治三十四年七月、福岡県三池郡高田町にお生まれになったのでありまして、私にとっては福岡県立八女中学校の二年先輩であります。
昭和四十八年十二月四日(火曜日) ————————————— 議事日程 第三号 昭和四十八年十二月四日 午後二時開議 一 国務大臣の演説に対する質疑(前会の続) ————————————— ○本日の会議に付した案件 国務大臣の演説に対する質疑 (前会の続) 稲富稜人君の故議員荒木萬壽夫君に対する追悼 演説 午後二時四分開議
議員荒木萬壽夫君は、去る八月二十四日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 同君に対する弔詞は、去る八月二十九日贈呈いたしました。これを朗読いたします。
長 秋田 大助君 事 務 総 長 藤野 重信君 ————————————— 委員の異動 十二月三日 辞任 補欠選任 小沢 貞孝君 玉置 一徳君 同日 辞任 補欠選任 玉置 一徳君 小沢 貞孝君 ————————————— 本日の会議に付した案件 佐々木委員長の就任挨拶 海部前委員長の辞任挨拶 故荒木萬壽夫君
————————————— 衆議院は多年憲政のために尽力しさきに国土計 画委員長の要職につきまたしばしば国務大臣の 重任にあたられた議員正三位勲一等荒木萬壽夫 君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます —————————————
○佐々木委員長 次に、追悼演説の件についてでありますが、去る八月二十四日、福岡県第三区選出議員荒木萬壽夫君が逝去されました。 ここにつつしんで哀悼の意を表します。 荒木君に対する追悼演説は、明四日の国務大臣の演説に対する質疑終了後、引き続き行なうこととし、演説者は、民社党の稲富稜人君にお願いいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
三枝 三郎君 戸井田三郎君 岡田 春夫君 塚田 庄平君 瀬野栄次郎君 松尾 信人君 出席政府委員 資源エネルギー 庁石炭部長 佐伯 博蔵君 労働省職業安定 局失業対策部長 佐藤 嘉一君 ――――――――――――― 委員の異動 八月二十四日 辞任 補欠選任 荒木萬壽夫君
すでに御承知のことと存じますが、長らく本委員会の委員として御活躍をされておりました荒木萬壽夫君が、去る八月二十四日逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。 ここに委員各位とともに故荒木萬壽夫君の御冥福を祈り、つつしんで黙祷をささげたいと存じます。全員御起立をお願い申し上げます。 〔総員起立、黙祷〕
兼次郎君 同日 辞任 補欠選任 楯 兼次郎君 小林 進君 同月十九日 辞任 補欠選任 安里積千代君 受田 新吉君 同日 辞任 補欠選任 受田 新吉君 安里積千代君 八月二十二日 辞任 補欠選任 地崎宇三郎君 高見 三郎君 同月二十四日 辞任 補欠選任 荒木萬壽夫君
室長 佐々木久雄君 ————————————— 委員の異動 七月十八日 辞任 補欠選任 内海 英男君 西村 直己君 志賀 節君 笹山茂太郎君 同日 辞任 補欠選任 笹山茂太郎君 志賀 節君 西村 直己君 内海 英男君 八月二十四日 辞任 補欠選任 安倍晋太郎君 荒木萬壽夫君
昭和四十八年六月十五日(金曜日) 午後二時五十二分開議 出席委員 委員長 田代 文久君 理事 田中 六助君 理事 地崎宇三郎君 理事 山崎平八郎君 理事 山下 徳夫君 理事 多賀谷真稔君 理事 渡辺 惣蔵君 理事 多田 光雄君 愛野興一郎君 荒木萬壽夫君 倉成 正君 三枝 三郎君 篠田 弘作君 塚田 庄平君
(拍手) ————————————— 国有鉄道運賃法及び日本国有鉄道財政再建促進特別措置法の一部を改正する法律案を委員長報告の通り決するを可とする議員の氏名 安倍晋太郎君 足立 篤郎君 阿部 喜元君 愛知 揆一君 愛野興一郎君 赤城 宗徳君 赤澤 正道君 秋田 大助君 天野 光晴君 荒木萬壽夫君
昭和四十八年五月三十一日(木曜日) 午前十時八分開議 出席委員 委員長 田代 文久君 理事 田中 六助君 理事 山下 徳夫君 理事 多賀谷真稔君 理事 渡辺 惣蔵君 理事 多田 光雄君 愛野興一郎君 荒木萬壽夫君 三枝 三郎君 戸井田三郎君 三池 信君 瀬野栄次郎君 松尾 信人君 塚本 三郎君
(拍手) ————————————— 木部佳昭君外六名提出議員小林政子君を懲罰委員会に付するの動議を可とする議員の氏名 安倍晋太郎君 足立 篤郎君 阿部 喜元君 愛野興一郎君 赤城 宗徳君 赤澤 正道君 天野 光晴君 荒木萬壽夫君 荒舩清十郎君 有田 喜一君 井原 岸高君 伊東 正義君
昭和四十八年四月十八日(水曜日) 午前十時八分開議 出席委員 委員長 田代 文久君 理事 金子 岩三君 理事 田中 六助君 理事 地崎宇三郎君 理事 山崎平八郎君 理事 山下 徳夫君 理事 多賀谷真稔君 理事 渡辺 惣蔵君 理事 多田 光雄君 愛野興一郎君 荒木萬壽夫君 加藤 紘一君 三枝 三郎君 戸井田三郎君
昭和四十八年四月十二日(木曜日) 午前十時三分開議 出席委員 委員長 田代 文久君 理事 金子 岩三君 理事 田中 六助君 理事 地崎宇三郎君 理事 山崎平八郎君 理事 山下 徳夫君 理事 多賀谷真稔君 理事 渡辺 惣蔵君 理事 多田 光雄君 荒木萬壽夫君 加藤 紘一君 倉成 正君 三枝 三郎君 篠田 弘作君
昭和四十八年四月九日(月曜日) 午後一時四分開議 出席委員 委員長 田代 文久君 理事 田中 六助君 理事 山崎平八郎君 理事 多賀谷真稔君 理事 渡辺 惣蔵君 理事 多田 光雄君 阿部 喜元君 荒木萬壽夫君 小此木彦三郎君 三枝 三郎君 塚田 庄平君 瀬野栄次郎君 松尾 信人君 稲富 稜人君
昭和四十八年四月六日(金曜日) 午後四時四十七分開議 出席委員 委員長 田代 文久君 理事 地崎宇三郎君 理事 山崎平八郎君 理事 山下 徳夫君 理事 多賀谷真稔君 理事 渡辺 惣蔵君 理事 多田 光雄君 荒木萬壽夫君 加藤 紘一君 戸井田三郎君 渡辺 紘三君 岡田 春夫君 瀬野栄次郎君 松尾 信人君
前田治一郎君 大久保武雄君 多田 光雄君 諫山 博君 同日 辞任 補欠選任 大久保武雄君 前田治一郎君 同月二十九日 辞任 補欠選任 諫山 博君 多田 光雄君 同日 辞任 補欠選任 多田 光雄君 諫山 博君 同月三十日 辞任 補欠選任 保岡 興治君 荒木萬壽夫君
昭和四十八年三月三十日(金曜日) 午前十時六分開議 出席委員 委員長 根本龍太郎君 理事 足立 篤郎君 理事 小澤 太郎君 理事 田澤 吉郎君 理事 湊 徹郎君 理事 阪上安太郎君 理事 辻原 弘市君 理事 谷口善太郎君 理事 山田 太郎君 赤澤 正道君 荒木萬壽夫君 伊能繁次郎君 臼井 莊一君 大野 市郎君
昭和四十八年三月二十九日(木曜日) 午前十時二十二分開議 出席委員 委員長 田代 文久君 理事 金子 岩三君 理事 田中 六助君 理事 山崎平八郎君 理事 山下 徳夫君 理事 多賀谷真稔君 理事 渡辺 惣蔵君 理事 多田 光雄君 愛野興一郎君 荒木萬壽夫君 戸井田三郎君 渡辺 紘三君 岡田 春夫君 塚田 庄平君
(拍手) ————————————— 昭和四十八年度一般会計予算外二件を委員長報告の通り決するを可とする議員の氏名 安倍晋太郎君 足立 篤郎君 阿部 喜元君 愛知 揆一君 愛野興一郎君 赤城 宗徳君 赤澤 正道君 秋田 大助君 天野 公義君 天野 光晴君 荒木萬壽夫君 荒舩清十郎君